母からの突然の電話で、頭が真っ白に…
私は、ひとりっ子です。
父と祖父は早くに亡くし、母と祖母と暮らしていました。
結婚して、実家を出て、数年後のことです。
ある日、母が『お母さんね、「末期がん」なんだって…』と電話してきました。
私は突然のことで意味が分からず、『……は?』と聞き返すしかありませんでした。
それから必死で、母が入院できる病院を探しました。
がん治療で有名だという先生のクリニックを探して診察を受け、
入院先を紹介してもらいましたが、
入院先で先生から言われたのは、到底信じられない、信じたくない言葉でした…。
「もう何も手の施しようはない状態です。穏やかに最期が迎えられるように、できるだけ一緒にいてあげてくださいね。」
もし、何年も闘病してから言われた言葉であれば、私もきっと受け入れられたと思います。
しかし、これは、母が「がん」だと知った数日後に言われた言葉なのです。
その時の私には、受け入れることがどうしてもできず、なんとか、少しでも治療をしてもらえないかと先生に泣きつきました。
先生は、ほとんど効果は期待できないけれど…と言いつつ、治療をしてくださいました。
しかし、すでに全身にがんが転移している状態だったため、
当然ながら、治療の効果は得られず、
結局、母は、入院してから2週間後に亡くなってしまいました。
60代前半でした。
祖母が突然ひとり暮らしになってしまう…
母が亡くなったことで、90近い祖母が突然ひとり暮らしになってしまいました。
祖母はこの時はまだ、多少しっかりしていましたが、足腰はかなり悪くなっており、
これからどんどん歳を取ることを考えると非常に心配でした。
私は、冒頭にご紹介した母からの電話のあと、仕事を休ませてもらい、
子供を連れて実家に泊まり込んでいたのですが、
そのまま休職を延長し、数か月間休ませてもらうことにしました。
快く休ませてくれた職場のみなさんに本当に感謝しています。
その休職中に、祖母が生活しやすいように
危険そうな箇所を部分的にリフォームしたり、
要介護認定を受けて介護サービスを使えるようにしたりしました。
そして、家事援助のヘルパーさんに毎日来てもらう体制が作れたので
私は仕事に戻ることにしました。
仕事に復帰してからも、毎週末、子供を連れて実家に帰り、
買い物をして作り置きのおかずを作ったり、
掃除をしたり、
病院に連れて行ったりしていました。
お風呂で震えていた祖母…
この生活は、5年ほど頑張りましたが、いよいよ限界がきました。
ある朝、祖母が、お風呂から出られなくなって、寒さで震えている所を親戚に発見されたのです。
それまでも、深夜に、親戚の家に何度も電話をかけてしまったり、
庭で転んで起きられなくなっていたのを助けてもらったりしていた祖母です…
私も必死で、祖母が入れそうな施設を探していたところでした。
そして、お風呂から出られなくなっていたと聞いたとき、「もう限界なんだ」と確信。
見学して良さそうだと思っていたサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に、
急遽だがすぐに入れてもらえないかと相談したところ、
快く応じてくださり、入所することになりました。
そうして、実家は、空き家になりました。
私は、毎週子供を連れてサ高住にいる祖母に会いに行きつつ、
1か月に1回は実家に行き、
雨戸をあけて換気したり、
祖母が必要だというものを探したり、
物を少しずつ片づけたり、していました。
管理されていない空き家は治安上も良くないと思い、
庭に草が生えれば刈払機で草刈りもしました。
しかし、うちの実家は、昭和初期に建てられたとても古い家でしたので、
人が住まなくなると、どんどん朽ちていき、
天井が落ちたり、雨漏りがするようになったりしました。
祖母が亡くなって…
祖母は、最終的に特養へ転所し、数年後に亡くなります。
もうすぐ100歳でした。
こうして、いよいよ、実家の処分について、本気で考えなくてはいけなくなりました。
これが私の実家じまいの始まりのお話です。
このブログでは、そこから私が
・実際にやったこと、失敗したこと
・「先にこれ知っておきたかった…」と思ったこと
を少しずつ書いていきます。
同じように、介護や実家の片づけに直面している方に、少しでも参考になればと思います。


